シシィのお部屋

アビシニアンのシシィ嬢と3匹の保護猫の日常 byしーまま

北海道胆振東部地震ルポ vol.1 猫達を被災させてしまった

北海道胆振東部地震、直後の状況

私は短期出張のため(寮の関係上)シシィ1匹のみを連れて小樽方面の病院で勤務していました。9月の初旬は主人が東京出張のため1週間だけ実家に3匹を預ける予定となっていたのです。

6日3:08 職場で当直中に地震に遭い、地震直後に停電に。停電後、すぐに急患が次から次へと来て、あまり地震のことを深く考える暇がありませんでした。

しかし、周囲の話からなんとなく、小樽札幌を含む都市圏全て停電しているということ、そして実はかなり大きな規模の地震で深刻な事態である、ということが少しずつわかり始めました。

診療の合間を縫って、とても回線が混雑していたのか遅いネット、ようやく動いて地震について調べた瞬間目に入って来たのが、地元の上に震源地のバツ印がついた北海道の画像でした。震度7と。

全身から血の気が退きました。夢かと思いました。

厚真町の土砂崩れがあった地域は、私の実家から20kmもない場所だったのです。

猫と家族の生存確認

よく見ると、LINEに弟から生存確認連絡が入っていました。

実際の弟とのやり取りです。

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弟は自分の安全を確保したあと、すぐに猫達のいる猫部屋に向かってくれていたみたいです。しかし、建物が歪んだのか猫部屋の襖が開かなくなっており、腕が伸ばせる程度にしか隙間ができず。隙間から見えたのは、本棚と本の間で身動きが取れなくなっているユズとモモ。リンゴの姿は見当たらない・・・。

この時、すでに地震発生から2時間近く・・・。

その後、父と弟が扉を物理的に壊して開けてくれて、やっと猫を救出することができました。モモはすでに自力で脱出しており、ユズは少し手足が冷たくなっていたけれど、体のどこかが折れたり潰れてしまっている訳ではなさとうとのことでした。

でも、リンゴがどこにもいない・・・。

リンゴは本棚の下に置いてあったベッドでいつも寝ていたので、本棚の下敷きになっているかもしれない・・・。父と弟が本を掻き分けましたが幸いにもいなくて、最終的に、カーテンと窓の間で丸まって震えていたところを発見されました。

とにかく、3匹の命が無事で本当に一安心したのを覚えています。

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こちらが猫達が被災した部屋です。どんなに恐ろしかったことでしょうか。

被災のショックによる衰弱

その後、実家には車が3台あったので、その中の1台を猫用にしてもらい、3匹を車の中に放しトイレと水、餌を設置してもらいました。

しかし、猫達も相当なショックを受けたようで、あまり容態はよくありませんでした。

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3匹は被災後、水も餌も食べず、トイレもしないというのです。熊本震災の時に、一命は取り止めたものの、震災後のストレスで猫ちゃん達が衰弱して亡くなられてしまった話などを思い出し・・・絶望しました。

救出大作戦

 6日は公共交通機関は全てストップ、ガソリンも売り切れ、タクシーも営業停止、自家用車を持っていなかった私には移動手段がなく、歯痒くも、待機しているしかありませんでした。

しかし、私の勤務地では6日の夜に電気が復旧したためか、7日にはタクシーが使えることがわかりましたので、タクシーで札幌へ。札幌から地元の先輩が車を出してくれることになっていたので、地元で避難所に逃げていた友人に不足物資を聞き、片っ端から買い集め車に詰め込んで現地に向かいました。震災後2日目に避難所で一番需要があったのは、子供のオムツ・お尻拭き・離乳食・女性用ナプキン・レトルト食品(自衛隊に配られた物がまずく皆2日目には参っている状態だった)などでした。

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高速は止まっており、道路も通行止が多数あり、道路は震源地に近付くにつれて波打ったり亀裂が入ったりとひどい状態でした。現地まで、いつもの倍の時間かかりました。

町に着くと、変わり果てた商店街に唖然として言葉が出ませんでした。

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 まず、明るいうちに主要な避難所を周り支援物資をおろしてきました。

主要避難所の駐車場には犬や猫と車中避難している人がチラホラいました。これは氷山の一角で、避難所に行きたくてもペットがいるからと家に残られた方も多数いらっしゃったことでしょう。あるいは、断腸の想いでペットを自宅に残してきた方もいらっしゃったようです。

最終的に7日夕方に猫達に再会することができました。私が3匹の乗った車を開けると、リンゴとユズはグルグル喉を鳴らして私を出迎えました。しかし、モモは車の隅で丸まったまま動こうとしませんでした。

札幌の自宅に戻った後、すぐにご飯とお水をあげました。リンゴとユズはすごい勢いでご飯にがっついたのですが、モモはご飯にもおやつさえも口を付けてくれませんでした。丸々2日間何も口にしていないのはマズイと思い、もう最悪人間のものでも良いから食べさせようと思い、友人が食べ物が一切消えたコンビニで死守してくれたピザまんの皮を試しに口元に。舐めながら少し食べてくれて、それを皮切りに少しず食欲が戻り、翌朝にはしっかり自分の餌を一食分食べることができました。

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8日の夜には安心したように伸びて寝てくれて私も安心しました。

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当初、下敷きなっていた2匹の状態が心配でしたが、今の所、健康状態に問題は無さそうです。

震災による猫の心の傷

震災後、何度も余震がきて、大きな時は札幌でも震度4。猫達はどんなに小さな揺れでも、すぐに机の下に隠れて丸々ようになりました。いかに上から物が降ってくる恐怖を味わったかが伝わって来て、怖い思いをさせてしまったことが本当に辛いです。

不幸中の幸いは、4匹の中で一番神経質であるシシィが私と一緒に震源地から離れた場所にいたことです。シシィは震度4の地震にもさほど驚かず、平常運行でとても心強かったです。不思議と、3匹が帰ってきた際には彼らの心労を慮ったのか、一人一人に優しく毛づくろいをしてやってました。